2021年1月31日日曜日

久しぶりの読書 ~ どれも雑誌のコラムを読むように


 本を読んだ。『生き抜くヒント』(五木寛之)、『心』(稲盛和夫)、『神の微笑』(芹澤光治良)。
 読書は、久しぶり。読んだからといって、知識や教養がついたとも思わないし、考え方が変わったとも思えない。寝る間際に 布団の中で、それこそ、雑誌のコラムを読むように、3冊を日替わりで読んでいった。音楽を聴いたり 散歩するような楽しみです。こころは、今日も大吉!

 ▶『生き抜くヒント』は、「週刊新潮」の五木氏の連載コラムを選んで集めたもの。週刊誌連載の為か、山陽新聞の「新・地図のない旅」よりも もっと砕けた言い回しがある。カバーのキャッチコピーにもあるようにユーモアと処世の知恵を感じた。

 ▶『心』、さすが稲盛和夫さん。なるほどねえ、と思う言葉が多々あった。言葉に従って精進できれば、私も この先 成功するのだろうが、、、なるほどと思いつつも、暫くすると忘れてしまう。

2021年1月30日土曜日

ほぼ想定内 ~ 健康診断の結果


 総社市国保特定健康診断の結果が届いた。
 肥満であるが、ほぼ想定内。安心ではないが、最悪ではない。現状維持。こころは、今日も大吉!

2021年1月29日金曜日

慣用句 「焼けぼっくいに火がつく」 ~ 間違っていた


 「焼けぼっくいに火がつく」という慣用句があります。「ぼっくい」は、「木杭」と書きます。意味は、「一度焼けた木の杭は 火がつきやすいことから、以前に関係のあった者どうしが、再び元の関係に戻ることの譬え。主に 男女関係においていう」。確かに、燃えた木は、炭の状態で再燃することがあるようです。火が付きやすい。地元でも火事のあと、消防団が 再燃するのを警戒して 現場で寝ずの番をしています。別れたはずの男女が 再燃する、よくある話ですよね。

 全く恥ずかしい話ですが、昔、「焼けぼっくいに火がつく」を「松ぼっくりに火がつく」と、間違って覚えていました。松ぼっくりの中には、山火事の際、固く閉じて焼けずに残り、火災沈下後、雨が降ると開いて 種をまき散らす種類があると聴いていました。森が再生するそうです。子孫保存の方法でしょう。松ぼっくりは「再生」の意味があると思っていました。だから、「松ぼっくりに火がつく」でも、意味合いとしては まんざらおかしく無いような気がします。無茶ぶりですね。昨日、伐った松の木の「松ぼっくり」を見て そんなことを想い出しました。
 「焼けぼっくいに火がつく」ようなことは無いでしょうが、再び逢った時は、善い関係で ありたいものです。こころは、今日も大吉!

2021年1月28日木曜日

♬ ヘイヘイホー、ハイハイサー ~ 松の木の伐採作業

 住いへの入り路を覆う松の木を伐り倒しました。崖に生えています。天辺の枝先を残して枯れてしまいました。松くい虫ではないでしょうか?松くい虫であれば、伐採して燃さなければなりません。そのままにしておくと 虫がふ化して移動し、次の松を枯らすそうです。

 「松の木は、神様が降りてきて乗る場所。正月の門松の由縁です。だから、松の木を伐ってはいけません」という言い伝えを聴きました。正直、松の木を伐るのは、良い気持ちがしません。今回、ねんごろにお経をあげ祈祷しました。松の木の魂も、帰るべきところに帰ったことでしょう。

 松の幹にチェーンソーで両側から切り込みを入れ、離れた場所からウインチで引き倒す方法をとりました。直接伐り倒すと、伐り離れた瞬間、幹が跳ねて身体に直撃し 大怪我をすることがあるからです。今回、崖の途中に生えています。梯子の上の作業となり、逃げ場がありません。危険です。逃げ場確保が 重要なのです。いざ切り始めると、チェーンソーのエンジン音だけがすさまじく、刃が潰れているのか、空回りして切れません。前回使った後に 手入れを怠りました。ある程度切込みが入ったところで 引き倒すのですが、切込みが足らず引き倒せません。伐るに伐れない、引き倒すに倒れない。ニッチもサッチもいかなくなりました。ピンチ!女房殿を呼んで、ウインチ係を任じました。女房殿がウインチで引きながら、私が切れないチェーンソーで少しずつ切る作戦。
 ♬(北島三郎)  経淳が木を伐る~ ヘイヘイホー ヘイヘイホー 女房が引く~引く~ ハイハイサー ハイハイサー、、、
 絶妙のコンビネーションで しばらく作業を続けたところ、ミシ、ミシ と聞こえ、バサッ、ドタッと音を立てて倒れました。「ふー、、 」二人で大きなため息。今回は、苦心しました。無理して怪我でもしないかと、正直 怖かった。
 これが、私の生涯最後の樹木伐採作業になりそうです。無事終われて良かった。こころは、今日も大吉!

 ※ 追記 ~ 写真は、伐り終えて、ホッとして腰かけているところ。▶切り株に、虫は確認出来ませんでした。▶見に来たSちゃんに手伝いを頼んでも良かったのですが、「樹木伐採の咎(障り)」を分けたくありません。もし 咎があるならば、私一人で充分です。▶木を解体する時に、チェーンソーの刃を替えてみました。包丁で豆腐を切るように樹木が伐れました。刃物は、刃が命。

2021年1月27日水曜日

来週は、立春

 朝、日が昇るのが早くなりました。
 毎朝、お勤めのころ、同じ時刻に上ってくる人がいる。いつもの時刻に上って来ないと、「どうしたんだろう?」と気になる。逆に、朝、本堂の電灯が点いていないと、どうしたのだろうと 思う人がいるかもしれないな。こころは、今日も大吉!

2021年1月26日火曜日

哀しい性(さが) ~ 崖の草刈り

 

 長年、剃髪してきました。スキンヘッドです。最近は、電気シェーバーでなくカミソリで剃ります。習慣として剃り出すと、髪の毛が1㎝も伸びると 気持ち悪くて仕方ありません。爪が5ミリほど伸びるに等しい気持ち悪さです。我慢できません。学生の時は、美容院でアルバイトしていて 髪にパーマをかけて肩まで伸ばしていたのにですね。おかしなものです。

 草刈りを始めました。草刈りといっても、刈るのは草ではありません。ストローほどの太さの笹です。崖上の土手は、終わりました。今から、梯子に上って崖の笹を刈ります。今すぐやることではありません。でも、2月、3月は、身辺、何かと忙しくなりそうです。女房殿から、「危ないので、やめといて下さい」とお願いされます。確かに、年齢的に踏ん張りが利きません。梯子仕事は危ないと感じます。しかしながら、笹が伸びているのを見ると、爪や髪が伸びると同じうように、我慢できません。長年草刈りをしてきたせいでしょう。哀しい性(さが)です。今週中には終わる予定です。作業安全。神仏が守ってくれることでしょう。こころは、今日も大吉!

2021年1月25日月曜日

最初から居ました!ヒロシです ~ 存在感について


 「存在感」というのが あるようです。
 大相撲初場所は、平幕・大栄翔優勝で終わりました。大栄翔は、終始気迫あふれる相撲で 存在感がありました。それに比べ、地位が保証されている大関はどうだったでしょうか。千秋楽結びの大関戦は消化試合です。後半、調子を上げてきましたが、迫力を感じませんでした。どの大関も、大関に昇進するときは、迫力と勢いを感じ 存在感を感じるのにですね。どうしたことでしょう? 今、一番強いのは 照ノ富士のような気がします。優勝するには、照ノ富士との勝敗が要(かなめ)のような気がします。それほど、存在感があります。しかし 、なんといっても 存在感があったのは、毎日 花道脇に、ワンピース姿で姿勢正しく座っていた女性ではなかったでしょうか?(写真、行事軍配左の女性) 大相撲ファンは、皆、気になったことでしょう。何者でしょうか? 座っているだけで 存在感がありましたね。

 「存在感」といえば、先日の会議中、「 それでは、皆さんのご意見を、、あれっ! 経淳さん、いつから居たんですか?」と尋ねられました。「、、、最初から 居ました!! 」。存在感がないです。なんだか「ヒロシです」の自虐ネタと全く同じです。
 「皆に でくの坊と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに 私はなりたい」(宮沢賢治)と 日記には書いておこう。こころは、今日も大吉!

2021年1月22日金曜日

あの世に行く途中、「浄玻璃鏡」というビデオ判定がある


 大相撲のきわどい勝負判定には、「もの言い」が付き、親方衆が協議する。その際、ビデオ室と連絡をとり ビデオ映像も参考にするようだ。12日目の「大栄翔 vs 明生」も、11日目の「正代 vs 隠岐の海」戦もきわどい勝負だった。特に11日目の正代戦は、隠岐の海の親指が微妙に早かった。あの微妙さは、ビデオ判定でないと行司の肉眼では厳しいだろう。
 テニスもサッカーもラグビーもビデオ判定のルールがある。スポーツばかりでない。交通関係では、ドライブレコーダーもあるしオービスもある。ビデオや写真を見せられれば、一目瞭然。納得するし異議など唱えられない。
 この世のことばかりでない。死んであの世に行く途中、閻魔(えんま)様が居って、その前で「浄玻璃鏡(じょうはりきょう)」という鏡に 生前の行動がすべて映し出される。悪業が暴き出されるのだ。いわば、ビデオ判定である。閻魔様に「俺は、やってない!」などと嘘はつけない。あの世のことを思えば、悪いことは 出来ない。こころは、今日も大吉!

2021年1月21日木曜日

今回は、未練をバッサリ!~ もう一度読みたくなる本

 整理した本を断捨離の「捨」、本買い取りのお店に持って行った。予想はしていたが、散々。50冊ほど持ち込んだ。半分は値が付かない。引き取り不可。引き取り価格が高いのが『早わかり新約聖書』 50円。何回も読んで汚れていたのに 一番高かった。次が、渡部昇一さんの『かくて昭和史は甦る』文庫本、40円。これは文庫本にしては高い。あとは、著名作家の文庫本も新書版も、10円か5円。24冊で275円。とほほほ。

 芹澤光治良さんの『教祖様』、天理教の教祖「中山みき」さんの生涯を描いたもの。一部の天理教教会では、お勤めみたいに朝夕読まれていた本だそうだ。絶版になったこともある。これは、高価で引き取ってくれると思っていた。でも、引き取り不可。なんでだろうと思って、本を見ると、私が自分のスタンプを押していた。これじゃ引き取らないだろう。しかし、今回、返されたこの本の前書きを 再度読んでみた。宗教に関して思い感じることがあった。返された意味があったようだ。芹澤さんの本といえば、大学生の時に読んだ『人間の運命』(新潮文庫)全7巻。もう一度読んでみたくなった。長崎の実家に置いていたが、岡山に引っ越した時、処分してもらった。今はない。惜しいことをした。もう一度読んでみたくなる本は 確かにある。そこに、本の捨てがたさがあるようだ。
 
 今回整理した本には、もう一度読んでみたいと思う本もある。だが、無人島にでも行かない限り、絶対に読むことはない。そう心得、今回は、思い切ってバッサリ!「完捨」。こころは、今日も大吉!

2021年1月20日水曜日

♬ 寒う ござんす ヒュルルルルルルン ~ 「寒じゃが」

 

 今日から「大寒」。一年でいちばん寒い時期とされます。
 大寒の日に、じゃがいも(品種:出島)を収穫しました。カチンカチンの畑から掘り起こしました。いわば「大寒じゃがいも」、「寒じゃが」。なんだか無病息災のじゃがいものようなイメージです。肉じゃがを作って身体を温めようと思っています。
 ♬ 寒う ござんす ヒュルルルルルルン~(北風小僧の寒太郎)こころは、今日も大吉!

2021年1月17日日曜日

ちょっと一息

 

 根を詰めると 体に毒ですよ。たまには、一息して下さいね。こころは、今日も大吉!

    ☆ 写真は、ご接待用の団子とお茶。

2021年1月16日土曜日

知ってもらいたいこと ~ 「仏式 地鎮祭」の すすめ

 

 檀家さんの娘さん夫婦が家を建てるというので、地鎮祭を執り行いました。
 今時、家を建てるとなると、セットものとして建築会社の方で神主さんに依頼して地鎮祭を執り行うのが一般的ではないでしょうか。それに「地鎮祭は、神式」という固定観念があるようです。今回、建築主である娘さん夫婦の方で、よく知る私に あえて仏式で地鎮祭をということで依頼されました。信仰に篤いご両親の影響でしょう。良く知っている檀家さんです。私も 依頼されて嬉しかったです。

 地鎮祭の式でも、挨拶・説明させて頂きました。日本の仏教は、神仏習合です。天神地祇も大事にします。仏式の地鎮祭は、その地に縁する地神・水神・荒神を始め諸々の神々に陳謝し、本来 草木が生え 生き物が生息するはずのその地に家を建てさせてもらうお詫びをします。同時に その地に縁する迷霊を供養し、邪気を払います。また、建築工事がスムーズに進んで無事完成し、その家の家内安全・子孫長久を祈るものです。仏式は、土地の神様ばかりでなく 土地に縁する霊を供養するところがポイントです。有り難いものです。

 今回の施主である檀家さんの娘さんは、小学生のころから知っています。檀家さんの家に盆・彼岸のお経に行くと祖母の「全員集合」で いつも後ろで座って掌を合わせていました。家中に信仰があるのは、良いものです。そういう魂が、今回、地鎮祭を流れで建築会社にお任せではなく、あえて縁ある寺住職に依頼されたのでしょうから。ありがたいものです。
 小さい時から知っている可愛い娘さん夫婦の依頼、精魂込めて地鎮祭を執り行いました。大覚寺に依頼して正解だったですね。皆様にも、仏式での地鎮祭を、お薦めします。是非。こころは、今日も大吉!

2021年1月15日金曜日

世知辛くなった ~ 賽銭の預金


 お賽銭は、缶に溜めておき、ある程度溜まったら、銀行に預けるようにしています。前回、賽銭を預金に行くと「今回は掛かりませんが、今後、枚数に応じて 手数料が掛かります」と告げられた。両替と違ってお金を預けるのに、手数料などかからなかったのにですね。手数料がどのくらい掛かるのかは 分かりませんが、うちの賽銭は ほとんどが1円・五円・十円の小銭です。少しずつ使うにしても限度があります。コインを溜めると結構な枚数になります。世知辛くなったもです。金融機関も超低金利で、利益が上がらないのでしょうね。業務の経費削減しかありませんものね。
 また、お寺で多いのが、千円札です。盆・彼岸は 集まります。将来、お布施を預金にもっていくと、「お札の預金は、枚数に応じて手数料がかかります」と云われる日が、来るかもしれませんね。更には、預金高に応じて、「預かり賃」が かかったりして、、、。どう変わっていくか、分かりませんね。こころは、今日も大吉!

2021年1月14日木曜日

手作り感、満載 ~ 地鎮祭の杭

  「無いのなら 作ってしまえ ホトトギス」と、DIY。地鎮祭の杭を作った。寺にあった三寸(約8㎝)角の角材を適当な長さに切り、カンナをかけ、上下を四角錘に切り落とした。上下を「四角錘」に切り落とすところが、味噌。やってみれば簡単なことだが、見た目 難しそう。昔、大工さんが作っていたのを見たことがある。その記憶で作った。大工さんみたいには出来ないが、それなりに 出来上がった。手作り感 満載。


 出来上がった杭は、経文を書いて、家を建てる敷地に埋めてもらう。埋めやすいように35㎝ほどの杭。三寸角だからバランス的にずんぐりになった。経文はシンプルにした。地鎮祭の時に地中に埋めてもらう。これで安心。

 今回の地鎮祭、手間がかかるなあ。なんでだろうなあ。私の性分かなあ。こころは、今日も大吉!

2021年1月13日水曜日

神仏からのお裾分け ~ 『鏡開き』での雑炊


 11日は、『鏡開き』だった。今年は、11日を待たずに早めに下ろした。本堂及び客殿などのお供え餅が たくさんある。お餅は、好物。その日、お餅を入れて雑炊を作ってみた。具材は、在り合わせ。白菜、ゴボウ、鶏肉、アオサ(海藻)、ネギ、卵など。味付けは、昆布だし。
 「ご飯を、煮る前に水道水で洗うのよ」と女房殿からのアドバイス。ぬめりが無くなるらしい。雑炊づくりの定石のようだ。そんなの知らないが、せっかくのアドバイス、洗ってみた。洗ってないのと食べ比べしていないので、どっちが美味しいか分からない。でも、出来上がりは、美味しかった。満足。
 『鏡開き』、神仏からのお裾分け。無病息災。力を戴いた。こころは、今日も大吉!

2021年1月12日火曜日

ほのかな雪景色を見ながら

 

 朝起きると、雪景色。何年ぶりだろう。昨日は、暖かい穏やかな一日だったのに。予報は、雪だったのだろうか。今朝は 水替えに時間がかかったので、お経を読む時間が少し遅れた。勤行が終わっても、本堂前に 足跡がない。毎朝、決まった時刻にお参りする Sちゃん。今朝は、どうしたのだろうか?朝早くから、納屋の電灯が点いていたようだが。出かけが遅くなったのか?雪の石段は危ないので、山門辺りで掌を合わせて、次の墓参りに行ったのだろうか? などと、ほんのりした雪景色を見ながら、他愛のないことを考える。
 未だに、雪がちらちらと降っている。今日は、来客もあるまい。出かけるたいした用件もない。今日は、終日、寺で事務整理とお便り書きだな。こころは、今日も大吉!

2021年1月11日月曜日

雑木林で探す ~ ありそうで ない 本榊(サカキ)

 榊(さかき)の木を探しに大覚寺敷地の雑木林に入った。榊は、檀家さんから頼まれた地鎮祭に使うもの。20~30センチの小枝であれば、境内にもヒサカキ(シャカキ)があるし、花屋さんにも きれいな本榊が売ってある。欲しいのは、1メートル余りの枝。今回、寺の裏山に生えているだろうと思い、寺で準備するからと安請け合いしてしまった。本榊、実際に探してみると、ありそうでないなあ。こころは、今日も大吉!

  ☆ うんちく ~ ネットなどで調べますに、昔は、神棚に祭る植物を総称して「榊」だったようです。椿あり、杉あり、樫や竹もあったようです。そのうち、特定の植物が「榊」と呼ばれるようになった。だから、本榊は本榊ですが、地方によって「榊」と称されるものは、ヒサカキだったり、杉だたり、微妙に違うところがあるようです。だから、本榊がない場合、代用品として、樫、椎木、竹などでも 問題ないようです。そう解釈しときましょう。

2021年1月10日日曜日

慌てず 騒がず ~ 水道の水漏れ


 水道の水漏れ発見。ネジのパッキンが古くなって劣化。さらに この寒さで固く縮みこんでしまったのだろう。ただ、水量の調整弁がある箇所なので、ケレップというゴム製の駒も交換することにした。寺にパッキンの在庫はあったが、ケレップはなかった。ケレップを購入して修理を開始。修理は、初めてではない。元栓を閉めて、ネジを外しパッキンを差し替えて、元に戻す。水漏れが なくなった。簡単。
 思い起こせよ 梅の花。22年前の冬。大覚寺に引っ越して来たばかり、とても寒い冬でした。冷え込んだ朝、屋外の水道管が3か所破裂していた。家族、右往左往の大騒ぎ。近所の業者さんに連絡するが、その日は あっちの家もこっちの家も、水道管が破裂していて、なかなか来てくれない。タオルを巻いたり、抑えたりして、雨漏りどころの騒ぎじゃなかった。結局、修理に来て修理してくれたのだが、大変だった。その時のことを思えばば、今回の水漏れ、慌てず、騒がず。
 それにしても、普段 入らない場所、全く使わない水道の蛇口から漏れていた。気が付いてよかった。こころは、今日も大吉!

2021年1月9日土曜日

幟下ろし、門幕と門松の片付け ~ 感謝


 今朝は、昨日より冷え込みました。屋外のものは水道もバケツも土でさえ、カッチカチ。そういう寒い朝でしたが、檀家さん4人ほどが集まってくれて、幟を下ろし、門松や門幕を片付けてくれました。あと、重ね餅を下ろせば、大覚寺の一連の正月行事は無事に終わります。ありがとうございました。こころは、今日も大吉!

 ☆ 写真は、本文と関係ありません。送られてきた義母へのお供え花。

2021年1月8日金曜日

冬来たりなば 春遠からじ ~ 朝の勤行準備

 今朝は、冷えました。本堂の水揚げの水が凍っていました。諸仏の水替えをするのに 本堂横の流しの水道も凍って出ません。ヤカンを持って庫裏まで下り、台所の水道水を入れて2往復しました。御宝前のローソクに火をつけようと ライターのスイッチを押しますが、ガスが気化しにくいのか点きません。ライターを掌でこすって温めて点火しました。防寒の為、着込みました。お寺ばかりでなく どこも同じでしょうが、冷えると手間がかかります。
 「冬来たりなば 春遠からじ」と申します。次は、春です。厳しい冬があればこそ、明るく暖かい春が嬉しいものです。こころは、今日も大吉!

2021年1月7日木曜日

晴れ 一時 雪。 ~ 軽乗用車は4WD


 一時的ですが、雪が降りました。寒いです。
 お寺までの参道は坂道です。積もると大変。滑ります。昔、檀家さんの葬儀の日に 積もったことがあります。さすがにビビりました。天気予報で雪が積もりそうなときは、雪の坂道を下らないですむように、自動車を前日から麓の道脇に置いていました。今は、軽乗用車を四輪駆動にしています。他の2台は、2WDです。4WDは、雪の量にもよりますが、積もっても大丈夫と聞いています。ただ、購入して5年ほど経ちますが、雪が積もったことがありません。まあ、幸いといえば幸いです。 明朝、雪が積もらないことを祈ります。こころは、今日も大吉!

 ☆写真は、クリックすると拡大します。

2021年1月6日水曜日

年賀状、ありがとうございました。

 

 新年の年賀状、年末年始は 忙しくて 負担が大きいことを理由に 出すのを失礼しています。

 近年、メールやラインでの新年の挨拶が増え、年賀はがきの売れ行きが悪いと聴きます。洒落たスタンプや写真などのアップもでき、安価で便利なのでしょう。なんだか 分かります。でも、私の苦手分野です。年賀はがきでの挨拶はというと、届く年賀は、ほぼ 決まり文句のパソコン印刷。しかも、裏も表(宛名)も印刷だけのものも 多いようです。申し訳程度でしょう。出されている方も、誰誰に出しているか 把握されていないかもしれませんね。返信も、二の足を踏みます。そういう中で、日頃逢わない人からの近況報告は 嬉しいものです。私も、年賀状を出すときは、近況報告を心がけています。
 新年早々、年賀状、ありがとうございました。こころは、今日も大吉!

2021年1月5日火曜日

『人間万事 塞翁が馬』 ~ 受験合格祈願に思う


 正月祈願で、「受験合格祈願」をいくつもしました。祈祷した者として、合格してもらうと嬉しくもあり 安堵します。逆の結果だったら、こころ痛みます。それでも、、、。 

 『人間万事 塞翁が馬』と申します。塞(とりで)に住む老人(翁)が飼っていた馬が逃げ出しました。だが、その馬は 数か月後に駿馬を連れて戻って来ます。馬が逃げ出したことは不幸ですが、幸運をもたらしました。幸運と思っていましたが、今度は息子がその馬から落馬して骨折します。しかし、足が不自由になった為、10人中9人が戦死した戦争に行かないですみ、命拾いしました。このように 人生の吉凶というものは、分からないものであるという故事の格言です。「禍福は糾う縄の如し」ともいいます。

 以下、わたくし事です。志望の大学受験に失敗し、失望していた時期がありました。その姿を見た親が、「仏教関係の大学か、神道関係の大学だったら、進学を許す」という条件で、仏教関係の大学に進学しました。住職になるまで色々とありましたが、それはそれとして、今、住職として身を立てています。喜ばしいことです。志望大学受験失敗という残念なことが起因となり、住職としての今があるわけです。『塞翁が馬』です。吉と凶は表裏一体。凶事が吉事に、吉事が凶事に変わったりします。先の事は分かりません。凶事にせよ 吉事にせよ、「腐らず、また有頂天にならず」、いたずらに一喜一憂せず、生活していきたいものです。こころは、今日も大吉!

2021年1月4日月曜日

親しい仲にも 礼儀あり ~ 大覚寺みくじ『第十番』


 正月といえば、「おみくじ」。あなたの為に引いてみました。『第十番』。「大吉」です。クリックすると拡大します。読みやすいです。

 『第十番』▶みくじの言葉は、「履(ふ)む」、踏むです。「虎の尻尾を履む」。故意ではありませんが、虎の尻尾を踏んでしまいます。普通だったら、虎の尻尾を履むと、びっくりした虎が襲いかかって食べられてしまいます。しかし、大丈夫。虎は、何食わぬ顔をして おっとりしています。▶生活に当てはめると、不意に何かびっくりすることに出くわします。しかし、問題ありません。大丈夫です。でも、条件があります。それは、日頃から 礼儀正しくしておかねばなりません。つまり、日頃からの信頼です。失敗しても、「なんだ、あんたか。仕方ないなあ」です。日頃の誠実さが、あなたを救います。親しい人への礼儀は特に気を付けてください。なおざりになりがちです。▶恋愛は、特に気をつけてくださいね。▶何かやりたいことがあれば、実行すべきです。今が好機です。信頼があり、助けがあります。

 アドバイスを一言いうなれば、「親しい仲にも、礼儀あり」。日頃の礼儀正しいさが、危険を無難にし、幸運をもたらします。忘れるべからず。こころは、今日も大吉!

 ☆ 『大覚寺みくじ』は、現在、作成中のものです。すべて揃っていません。今はまだ、実際に引けません。

2021年1月3日日曜日

祈祷の功徳をお受け取り下さい ~ 『新春 初祈祷』


 大覚寺の、そして私の願いは、繋がるすべての人が幸せになることです。元旦より三ヶ日、『新春 初祈祷』と銘打って時間随時、ご祈祷を執り行いました。このコロナ禍中においても、皆様 お変わりなくお参りしていただきました。ありがたいことです。一心にお経をあげ、精いっぱいのご祈祷を施しました。皆様の願い、必ず叶うと信じております。また、お参りの皆様に、今後のこともお話しできました。令和3年、良いスタートが出来たようです。

 写真は、自分を清めるお経をあげ、さらに、皆様から申し込みがあった家内安全・身体健全・病気平癒などの願い事を大覚さまに祈っているところ。今から祈祷した祈願のお札を送ります。大覚さま御宝前、ご祈祷の功徳を どうぞお受け取り下さい。こころは、今日も大吉!

2021年1月2日土曜日

「皿うどん」には、ソース or 酢? ~ 味は好み問題

 


 あなたは、「皿うどん」を食べるのに、ソース派ですか、それとも酢派ですか?の話。食べ物の美味しさは、好みの問題ですから、何も言えんですけどね。どちらも違う「何も かけない派」がいました。ええ、、

 本日、来客あり、お参りとは別。「お昼ご飯食を、食べていかんね?(食べて帰らないか?)」と誘う。食べることになった。そういうことも想定して、朝から女房殿にリクエストしていた。長崎から届いた某メーカーの「長崎 皿うどん」。女房殿に作ってもらった。いざ食べる段になって、「皿うどんにかけるのは、ソース派?酢派?」と来客に尋ねると、「何も かけません」と答える。その人は、長崎に数年間 住んだことがある人。長崎市生まれ育ちの私にとっては、信じられん。「皿うどんには、ソースと決まっとるやろう。しかも、ソースは 味が薄くて甘いウイスターソースたい。最近では、テレビの影響で 酢をかける人がいることは知っている。でも、何も かけんのは初めて。私の女房殿も 何もかけん派だった。えええ、、まちごうとる(間違っている)。皿うどんは、ソースば かけて、はじめて皿うどんばい。福山雅治も さだまさしも、びっくりぽんたい」と心の中で思った。それでも、「食べ物の味は、それぞれの好みじゃけんのォ~」となぜか菅原文太みたいな広島弁で自分を納得させた。

 「来客あり。一緒に皿うどんを食べた。皿うどんには 何もかけない派らしい。味は、好みの問題だからなあ、と思った。ご夫婦とも「美味しかった」と完食してくれた。おべんちゃらでも、女房殿も嬉しかっただろう」と、日記には書いておこう。こころは、今日も大吉!

 ▶写真・下は、先日、私が作った皿うどん。太麺使用。今日の皿うどん写真掲載は、NG。▶皿うどんは、長崎県外で「かた焼きそば」などと称されることがある。

2021年1月1日金曜日

謹賀新年 ~ 令和3年 元旦に思う

 

 明けまして おめでとうございます。

 先日からの嵐のような大風が嘘のように、穏やかな朝を迎えました。西の空には、きれいな有明の月。総社、福山山頂からの 初日の出も、きれいに見えたことでしょう。
 大覚寺に越してきて、23年目。ブログを始めて10年目に入っています。人間として、また住職として どれほど成長したかは 分かりません。分かりませんが、無我夢中で頑張ったり、懈怠の念に陥ったりしながらも、何とか過ごすことが出来ています。皆様に御礼申し上げます。

 「日に新たに、日々に新たに、また日々に新たなり」(湯王)
 以下、私なりの意訳。  朝、目が覚めれば、生まれ変わった新しい自分です。昨日とは違います。今日だけでは ありません、明日も、明後日も毎日が新しい自分であります。一日一日を新鮮な気持ちで過ごしたいものです。

 「今年も、いろいろあると思われる。一日一日を、元旦のような新鮮な気持ちで 大事に過ごしたい。令和3年 元旦」と、日記には書いておこう。こころは、今日も大吉!