本来であれば、今日この日、岡山県総社市清音 大覚寺に於いて、「法灯継承式」(住職交代式)が、賑々しく執り行われる予定でした。如何せん、清音にクラスターが発生し急遽、規模縮小しての式となりました。残念ながら、先代住職の私は、不参加です。そうは言っても、お寺の日蓮様、大覚大僧正、歴代住職、お寺におわします諸天善神などに、住職退任を報告しなければなりません。「退任報告文」を作り大覚寺に送らさせてもらいました。具えて頂くか、代読して頂けるでしょう。
平成10年の暮れ、清音 大覚寺に越して行きました。妻と息子ひとりの家族3人。裸一貫とは言いませんが、岡山県に頼れる身寄りなどいませんし、知人もいませんでした。大した貯金もありません。山寺で、檀家さんは わずか20軒。大覚さまファンはいましたが、信徒というと これもわずかでした。それでも 志はありましたから、3年くらいは、無我夢中でした。否、10年くらいは無我夢中だった気がします。経済的現実を考えると、正直怖かったです。なんせ家族がいるわけですから。それに お寺運営の責任もあります。しかしながら、私には佐世保本興寺、お師匠様の元で18年間 培った信仰の力があったと、今 思い感じます。佐世保 本興寺は、普通のお寺でなかったからですね。以前、当ブログで書きましたが、本興寺は、黒沢明監督『赤ひげ』の赤ひげ率いる小石川療養所みたいなお寺でした。医療と信仰の違いはありますけどね。信仰、信心を お師匠様から逐一 言葉で教えて頂いたわけではありません。日々のお寺の生活とお師匠様の姿で教えて頂きました。神仏を信じること。そして「おがまんば」。身体に染み入ったものがあったと思います。信仰の力は、大したものだと改めて思います。しかし、よくもまあ、大覚寺で22年間、出来たものです。その間、庫裏や本堂などあちらこちら改築・修繕しました。永代墓も建てました。境内もきれいにしました。よくやったと思います。やれたと思います。(誰も言ってくれないから、自画自賛)
苦難もありました。しかし、そういう時に 必ず助けてくれる人が現れた気がします。法華経の欲令衆に「変化(へんげ)の人を遣わして」とあります。「変化」、(へんか)と読みません。(へんげ)と読みます。「人の姿に変じた遣いをさし向けて、護ります」という意味です。その『変化(へんげ)の人』が現れた気がしました。色々な人に助けられました。それは、檀信徒様であったり、地域の人であったり、本興寺 兄弟弟子であったり、大学の同級生であったり、組内寺のお上人であったりするわけですが、まさしく信仰の力だと思い感じます。有難いことです。
清音 大覚寺をお護りして22年と3か月、お陰様で 大過なく勤め上げることが出来ました。また、大病、大怪我をすることなく過ごせました。有難いです。檀信徒様のお陰、地域住民のお陰、組内寺のお上人のお陰、本興寺 兄弟弟子のお陰、ひいては神仏のお陰。関わって頂いたすべての人に感謝申し上げます。ありがとうございました。今後の大覚寺の発展と檀信徒様、地域の皆様他、すべての皆様の幸せを祈って御礼とさせていただきます。ありがとうございました。こころは、今日も大吉!
本当に今日は残念でしたね。22年間、有り難うございました。
返信削除22年間、支えとなってもらい、ありがとうございました。こころから御礼申し上げます。
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