2021年1月31日日曜日

久しぶりの読書 ~ どれも雑誌のコラムを読むように


 本を読んだ。『生き抜くヒント』(五木寛之)、『心』(稲盛和夫)、『神の微笑』(芹澤光治良)。
 読書は、久しぶり。読んだからといって、知識や教養がついたとも思わないし、考え方が変わったとも思えない。寝る間際に 布団の中で、それこそ、雑誌のコラムを読むように、3冊を日替わりで読んでいった。音楽を聴いたり 散歩するような楽しみです。こころは、今日も大吉!

 ▶『生き抜くヒント』は、「週刊新潮」の五木氏の連載コラムを選んで集めたもの。週刊誌連載の為か、山陽新聞の「新・地図のない旅」よりも もっと砕けた言い回しがある。カバーのキャッチコピーにもあるようにユーモアと処世の知恵を感じた。

 ▶『心』、さすが稲盛和夫さん。なるほどねえ、と思う言葉が多々あった。言葉に従って精進できれば、私も この先 成功するのだろうが、、、なるほどと思いつつも、暫くすると忘れてしまう。

2021年1月30日土曜日

ほぼ想定内 ~ 健康診断の結果


 総社市国保特定健康診断の結果が届いた。
 肥満であるが、ほぼ想定内。安心ではないが、最悪ではない。現状維持。こころは、今日も大吉!

2021年1月29日金曜日

慣用句 「焼けぼっくいに火がつく」 ~ 間違っていた


 「焼けぼっくいに火がつく」という慣用句があります。「ぼっくい」は、「木杭」と書きます。意味は、「一度焼けた木の杭は 火がつきやすいことから、以前に関係のあった者どうしが、再び元の関係に戻ることの譬え。主に 男女関係においていう」。確かに、燃えた木は、炭の状態で再燃することがあるようです。火が付きやすい。地元でも火事のあと、消防団が 再燃するのを警戒して 現場で寝ずの番をしています。別れたはずの男女が 再燃する、よくある話ですよね。

 全く恥ずかしい話ですが、昔、「焼けぼっくいに火がつく」を「松ぼっくりに火がつく」と、間違って覚えていました。松ぼっくりの中には、山火事の際、固く閉じて焼けずに残り、火災沈下後、雨が降ると開いて 種をまき散らす種類があると聴いていました。森が再生するそうです。子孫保存の方法でしょう。松ぼっくりは「再生」の意味があると思っていました。だから、「松ぼっくりに火がつく」でも、意味合いとしては まんざらおかしく無いような気がします。無茶ぶりですね。昨日、伐った松の木の「松ぼっくり」を見て そんなことを想い出しました。
 「焼けぼっくいに火がつく」ようなことは無いでしょうが、再び逢った時は、善い関係で ありたいものです。こころは、今日も大吉!

2021年1月28日木曜日

♬ ヘイヘイホー、ハイハイサー ~ 松の木の伐採作業

 住いへの入り路を覆う松の木を伐り倒しました。崖に生えています。天辺の枝先を残して枯れてしまいました。松くい虫ではないでしょうか?松くい虫であれば、伐採して燃さなければなりません。そのままにしておくと 虫がふ化して移動し、次の松を枯らすそうです。

 「松の木は、神様が降りてきて乗る場所。正月の門松の由縁です。だから、松の木を伐ってはいけません」という言い伝えを聴きました。正直、松の木を伐るのは、良い気持ちがしません。今回、ねんごろにお経をあげ祈祷しました。松の木の魂も、帰るべきところに帰ったことでしょう。

 松の幹にチェーンソーで両側から切り込みを入れ、離れた場所からウインチで引き倒す方法をとりました。直接伐り倒すと、伐り離れた瞬間、幹が跳ねて身体に直撃し 大怪我をすることがあるからです。今回、崖の途中に生えています。梯子の上の作業となり、逃げ場がありません。危険です。逃げ場確保が 重要なのです。いざ切り始めると、チェーンソーのエンジン音だけがすさまじく、刃が潰れているのか、空回りして切れません。前回使った後に 手入れを怠りました。ある程度切込みが入ったところで 引き倒すのですが、切込みが足らず引き倒せません。伐るに伐れない、引き倒すに倒れない。ニッチもサッチもいかなくなりました。ピンチ!女房殿を呼んで、ウインチ係を任じました。女房殿がウインチで引きながら、私が切れないチェーンソーで少しずつ切る作戦。
 ♬(北島三郎)  経淳が木を伐る~ ヘイヘイホー ヘイヘイホー 女房が引く~引く~ ハイハイサー ハイハイサー、、、
 絶妙のコンビネーションで しばらく作業を続けたところ、ミシ、ミシ と聞こえ、バサッ、ドタッと音を立てて倒れました。「ふー、、 」二人で大きなため息。今回は、苦心しました。無理して怪我でもしないかと、正直 怖かった。
 これが、私の生涯最後の樹木伐採作業になりそうです。無事終われて良かった。こころは、今日も大吉!

 ※ 追記 ~ 写真は、伐り終えて、ホッとして腰かけているところ。▶切り株に、虫は確認出来ませんでした。▶見に来たSちゃんに手伝いを頼んでも良かったのですが、「樹木伐採の咎(障り)」を分けたくありません。もし 咎があるならば、私一人で充分です。▶木を解体する時に、チェーンソーの刃を替えてみました。包丁で豆腐を切るように樹木が伐れました。刃物は、刃が命。

2021年1月27日水曜日

来週は、立春

 朝、日が昇るのが早くなりました。
 毎朝、お勤めのころ、同じ時刻に上ってくる人がいる。いつもの時刻に上って来ないと、「どうしたんだろう?」と気になる。逆に、朝、本堂の電灯が点いていないと、どうしたのだろうと 思う人がいるかもしれないな。こころは、今日も大吉!

2021年1月26日火曜日

哀しい性(さが) ~ 崖の草刈り

 

 長年、剃髪してきました。スキンヘッドです。最近は、電気シェーバーでなくカミソリで剃ります。習慣として剃り出すと、髪の毛が1㎝も伸びると 気持ち悪くて仕方ありません。爪が5ミリほど伸びるに等しい気持ち悪さです。我慢できません。学生の時は、美容院でアルバイトしていて 髪にパーマをかけて肩まで伸ばしていたのにですね。おかしなものです。

 草刈りを始めました。草刈りといっても、刈るのは草ではありません。ストローほどの太さの笹です。崖上の土手は、終わりました。今から、梯子に上って崖の笹を刈ります。今すぐやることではありません。でも、2月、3月は、身辺、何かと忙しくなりそうです。女房殿から、「危ないので、やめといて下さい」とお願いされます。確かに、年齢的に踏ん張りが利きません。梯子仕事は危ないと感じます。しかしながら、笹が伸びているのを見ると、爪や髪が伸びると同じうように、我慢できません。長年草刈りをしてきたせいでしょう。哀しい性(さが)です。今週中には終わる予定です。作業安全。神仏が守ってくれることでしょう。こころは、今日も大吉!

2021年1月25日月曜日

最初から居ました!ヒロシです ~ 存在感について


 「存在感」というのが あるようです。
 大相撲初場所は、平幕・大栄翔優勝で終わりました。大栄翔は、終始気迫あふれる相撲で 存在感がありました。それに比べ、地位が保証されている大関はどうだったでしょうか。千秋楽結びの大関戦は消化試合です。後半、調子を上げてきましたが、迫力を感じませんでした。どの大関も、大関に昇進するときは、迫力と勢いを感じ 存在感を感じるのにですね。どうしたことでしょう? 今、一番強いのは 照ノ富士のような気がします。優勝するには、照ノ富士との勝敗が要(かなめ)のような気がします。それほど、存在感があります。しかし 、なんといっても 存在感があったのは、毎日 花道脇に、ワンピース姿で姿勢正しく座っていた女性ではなかったでしょうか?(写真、行事軍配左の女性) 大相撲ファンは、皆、気になったことでしょう。何者でしょうか? 座っているだけで 存在感がありましたね。

 「存在感」といえば、先日の会議中、「 それでは、皆さんのご意見を、、あれっ! 経淳さん、いつから居たんですか?」と尋ねられました。「、、、最初から 居ました!! 」。存在感がないです。なんだか「ヒロシです」の自虐ネタと全く同じです。
 「皆に でくの坊と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに 私はなりたい」(宮沢賢治)と 日記には書いておこう。こころは、今日も大吉!

2021年1月22日金曜日

あの世に行く途中、「浄玻璃鏡」というビデオ判定がある


 大相撲のきわどい勝負判定には、「もの言い」が付き、親方衆が協議する。その際、ビデオ室と連絡をとり ビデオ映像も参考にするようだ。12日目の「大栄翔 vs 明生」も、11日目の「正代 vs 隠岐の海」戦もきわどい勝負だった。特に11日目の正代戦は、隠岐の海の親指が微妙に早かった。あの微妙さは、ビデオ判定でないと行司の肉眼では厳しいだろう。
 テニスもサッカーもラグビーもビデオ判定のルールがある。スポーツばかりでない。交通関係では、ドライブレコーダーもあるしオービスもある。ビデオや写真を見せられれば、一目瞭然。納得するし異議など唱えられない。
 この世のことばかりでない。死んであの世に行く途中、閻魔(えんま)様が居って、その前で「浄玻璃鏡(じょうはりきょう)」という鏡に 生前の行動がすべて映し出される。悪業が暴き出されるのだ。いわば、ビデオ判定である。閻魔様に「俺は、やってない!」などと嘘はつけない。あの世のことを思えば、悪いことは 出来ない。こころは、今日も大吉!

2021年1月21日木曜日

今回は、未練をバッサリ!~ もう一度読みたくなる本

 整理した本を断捨離の「捨」、本買い取りのお店に持って行った。予想はしていたが、散々。50冊ほど持ち込んだ。半分は値が付かない。引き取り不可。引き取り価格が高いのが『早わかり新約聖書』 50円。何回も読んで汚れていたのに 一番高かった。次が、渡部昇一さんの『かくて昭和史は甦る』文庫本、40円。これは文庫本にしては高い。あとは、著名作家の文庫本も新書版も、10円か5円。24冊で275円。とほほほ。

 芹澤光治良さんの『教祖様』、天理教の教祖「中山みき」さんの生涯を描いたもの。一部の天理教教会では、お勤めみたいに朝夕読まれていた本だそうだ。絶版になったこともある。これは、高価で引き取ってくれると思っていた。でも、引き取り不可。なんでだろうと思って、本を見ると、私が自分のスタンプを押していた。これじゃ引き取らないだろう。しかし、今回、返されたこの本の前書きを 再度読んでみた。宗教に関して思い感じることがあった。返された意味があったようだ。芹澤さんの本といえば、大学生の時に読んだ『人間の運命』(新潮文庫)全7巻。もう一度読んでみたくなった。長崎の実家に置いていたが、岡山に引っ越した時、処分してもらった。今はない。惜しいことをした。もう一度読んでみたくなる本は 確かにある。そこに、本の捨てがたさがあるようだ。
 
 今回整理した本には、もう一度読んでみたいと思う本もある。だが、無人島にでも行かない限り、絶対に読むことはない。そう心得、今回は、思い切ってバッサリ!「完捨」。こころは、今日も大吉!

2021年1月20日水曜日

♬ 寒う ござんす ヒュルルルルルルン ~ 「寒じゃが」

 

 今日から「大寒」。一年でいちばん寒い時期とされます。
 大寒の日に、じゃがいも(品種:出島)を収穫しました。カチンカチンの畑から掘り起こしました。いわば「大寒じゃがいも」、「寒じゃが」。なんだか無病息災のじゃがいものようなイメージです。肉じゃがを作って身体を温めようと思っています。
 ♬ 寒う ござんす ヒュルルルルルルン~(北風小僧の寒太郎)こころは、今日も大吉!