彫り物の名工、左甚五郎。落語の噺、「ねずみ」「竹の水仙」「三井の大黒」などに出てくる。どの噺も決まったパターン。最初は左甚五郎であることを隠して現れ、人助けの為、びっくりするような作品を彫って差し上げる。そこで、名工 左甚五郎と分かり、皆から称賛されたり平伏されたりする。水戸黄門や山下清の「裸の大将」のパターンと同じ。そういう噺に、心地よさを感じるのはどうしてだろう? 人情味があって人助けというのがポイントではないだろうか。しかも、「実は、俺は左甚五郎なんだ!」と自己顕示しない。そこが受けるのかな。
今日は、穏やかな天気。大工道具、ノミを片手に境内でDIYに励んだ。落語の左甚五郎のことを ふと思った。こころは、今日も大吉!
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