「清音村 百年記念(昭和63年)」の湯飲みを見た。お盆の棚経で、檀家さんの仏壇にあった。30数年前の湯飲みが、よくもあったものだ。
湯飲みには、清音村の歴史が箇条書きしてある。眼鏡をかけてなかったのでよく見えなかったが、寺に帰って写真を見ると、明治22年に誕生とある。興味深いのは、明治26年に清音の脇を流れる高梁川が決壊している。被害は、いか程だったろうか? 今じゃ語り部もいないのでわからない。私の聞くところ、昔、高梁川は、荒れ川だったらしい。たびたび氾濫し、川筋がその都度変わっていたと聞く。昭和30年代に高梁川の土手が出来て治まり、同時に大覚寺周辺に在った民家も、麓の今の集落に移っていったようだ。お寺は、そう簡単に移れない。大覚寺だけが取り残されたのだろうか。
私たち家族が清音に越して来たとき(平成10年)は、まだ「清音村」だった。湯飲みを見ながら、当時のことが懐かしく思い出された。こころは、今日も大吉!
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