人が死ぬと、その霊魂は 還るべきところがある。昔流行った歌、『千の風になって』みたいに霊魂が風に乗ってフラフラ漂っていたら「浮遊霊」、また、一か所にしがみついて留まっているのを「地縛霊」と称します。どちらも不成仏状態の霊魂です。稲川淳二さんのお話の題材になります。
霊魂が還るべきところの「あの世」=「冥土」、日蓮宗では 、霊魂は「霊山浄土(りょうぜんじょうど)」へ赴きます。そして、死者の霊魂を霊山浄土へ導くのが引導です。葬儀において導師が死者に向かって「引導文」を読み上げます。霊魂に言い聞かせ、旅立ちの心構えと、安心(あんじん)を与えて送り出します。安心を与えることを「教訣(きょうけつ)」と言います。
死んだばかりの霊魂は、西も東も分からず、きっと頼りないことでしょう。導かれたいと思うはずです。だから、還るべきところを示し、安心を与える「引導」が必要なのです。引導を渡す儀式である「葬送の儀」が必要なのです。葬送の儀は、年回忌供養やお盆の供養とは別物です。
近年、「葬儀不要論」を唱える人がいます。彼ら彼女らの話しは、経済的なことと別れの方法ばかりで宗教を考えていません。愚かです。コロナ禍の影響で、さらに葬儀のあり方が変わっていこうとしているようです。葬儀の意義をもう一度 考える必要があると思います。こころは、今日も大吉!
※ 写真は、書き写した引導文の一部。霊山往詣の安心を示す箇所。
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