2023年7月23日日曜日

義父の祥月命日 〜 思い込みの効用


 写真は、境内のクマゼミ。懸命に鳴いている。だが、今回の主役ではない。今回の主役は昆虫のクワガタ。

 今日は、義父、女房殿の父の祥月命日。平成14年に亡くなった。私たち家族が岡山に越して4年目。佐世保の自宅で亡くなった。
 女房殿と息子は、義父にとってひとりっ子で一人娘。一人孫。目に入れても痛くない存在価値。おまけに当時、義母も一人でよく岡山に泊まりがけで遊びに来ていた。義父の佐世保での生活は、私たちがいなくなって寂しくなったに違いない。

 佐世保での義父の四十九日の供養の日、法事を終え義父の家を出発する時、門扉を開けると同時に、一匹のクワガタが息子の肩に飛んできてすがりついた。クワガタなど清音では珍しくはないが、息子が連れて帰りたいという。虫籠を用意し持って帰ることにした。
 佐世保を出発し、その足で義父の望み通り熊本の先祖墓に納骨した。本人の望みとは言え義父をひとり熊本に置き去りにするような気がした。寂しかった。
 帰路の新幹線の中、虫籠の中のクワガタが私を見ていた。私もクワガタをじっと見つめるとクワガタが「俺だよ!俺。」と言う。「義父さん!?」「葬儀の時はありがとうな。今後、家内と洋子と孫を頼む!それから俺も一緒に岡山に連れて行ってくれ」と言う。「分かった」と頷く。うとうとし目が覚めたら倉敷に入っていた。あぁ、夢だったか。しかしなんだなぁ。やっぱり義父もみんなと一緒に岡山に行きたかったんだなあ。そうに違いない。出発の際、クワガタが息子の肩にしがみつくなど滅多にないこと。クワガタに姿を変えて着いて来たに違いない。清音のお寺に帰り、息子に「かくかくしかじか。じいちゃんが、みんなを見守ってくれるからね」と話をしてクワガタを解き放した。その後、そのクワガタの姿を見ることはなかった。だが、草葉の陰から孫の成長を見、連れ添いの臨終を看取ったことだろう。クワガタを連れて来て良かったと思った。
 読者の皆さんはそんなことない、経淳の想像と想われるでしょう。確かに妄想かも知れません。しかし、このクワガタに私たちがどれほど救われたことでしょう。66歳で他界した早死の義父。妻や娘の幸せ、孫の成長を見たかったに違いありません。義父をひとり九州に残したような悔いがありました。義父がクワガタに姿を変え、境内のどこかにいるような気がして、気が楽でした。苦しみや哀しみは、想像の世界や思い込みで救われることもあるような気がします。私事ではあります。皆様には そんなこともあるのかなあ、と考えていただけるだけで幸いです。

 境内のクマゼミ。お盆も間近です。亡き人が姿を変えて誰かの幸せを祈りながら懸命に鳴いているのかもしれませんね。こころは、今日も大吉!

3 件のコメント:

  1.  今日も境内で蝉がかまびくしく大合唱しています。心情お察しします。小生も18歳で父を亡くしました。そのとき、父は48歳でした。やりたいこともいっぱいあったろうにとつくづく思い出しました。

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  2. 匿名で送ってしまいました。錯乱坊です。

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    1.  そうだったんですかあ。岡山のお坊さんだとは思っていました。
       読者から、「ああ、やっぱり」というメールを頂きました。錯乱坊さんのコメントのファンの方からです。分かる人には分かるんですかね。
       匿名さんのコメントは、返信に困る時があります。変化球で来るから。

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