『徒然草』第157段を私見を交えて超訳してみた。
「筆を持つと自然と字を書くし、楽器を触ると音を鳴らそうとする。同様に、ことさら信仰心が無くても、仏像を見れば掌を合わせたくなるし、お説教を聴くと善行をなそうとする。信仰心と云うのは、仏事に関するものを、見たり、聞いたり、触ったり、知ったりする行為によって生じるものである。
夕暮れ時に、お寺の鐘を聴けば、「そう言えやぁ、今日は、昼間、嫁に言い過ぎたかなあ」などと反省もする。これ、寺の鐘の音を聴いたからで、聴かなかったらそういう事は思わない。行為と気持ちは、切り離せない。
散歩でお寺参りをしたり、何気なしに仏壇の前に座ったりしてみると良い。格好だけで良い。そうすると、自ずと信仰心が湧いてくる。悟りに近づくのである。格好ばかりの信仰、決して侮れない。尊いものである」
開経偈の「見聞触知、皆、菩提に近づく」と云うのは、このことである。こころは、今日も大吉!
※ 写真 ~ 息子がチェロの練習をしていた。見たら、自分も音を出してみたくなった。触れば、もっといい音を出したいと思う。心の動き。
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