先日、外海町にある『遠藤周作文学館』に立ち寄った。10年ほど前にも一度立ち寄った。もう一度行ってみたい所だった。今回も立ち寄った感じだが、40分間は見て回った。デスク、ペン、生原稿など遺品や年譜、それと文章のカットが写真と一緒に展示されている。外海町は、遠藤氏の小説『沈黙』の舞台となったところ。そういう関係でこの地に文学館がある。
学生時代、遠藤氏は流行りの作家だった。「ぐうたら」シリーズや「怪奇」シリーズはよく読んだ。キリスト関係は、もっと後で読んだ。当時、『沈黙』はよく分からなかった。最後で宣教師が棄教(転ぶ)した時の悟り(神の愛を知る?)が分からなかった。10年前、文学館に来てパネルの文章を読んでいって「あぁ!こういうことだったのか」と納得したものだっだ。
前回は、『沈黙』一色でパネル展示してあったように思える。今回は、『沈黙』が少し減って、その後の『侍』や『死海のほとり』などで遠藤氏のキリスト感を示しているように思えた。そしてキリスト教になった原点である母親のこと。興味深かった。
当時の日本の立場によるキリスト教弾圧の是非や映画の『沈黙』についてのことを書くと、長くなるので割愛させてもらいます。ただ、パネル展示で遠藤氏の文章に出てくる「身丈に合わないキリスト教という洋服を着せられた」「キリストは、寄り添い者」などの言葉が印象に残っている。考えさせられるものがあった。
外海町の海は、とても綺麗です。今度はゆっくりと、もう一度、「遠藤周作文学館」を訪れてみたいです。
「人間がこんなに哀しいのに 主よ、海があまりにも碧いのです」(遠藤周作)。こころは、今日も大吉!
周作先生、面白いですよね。風貌がまた素晴らしい。佐藤愛子さんが周作先生のことを「ソバプン」と呼んでいたそうです。その訳は傍へ近づくとプンと臭うからだそうです。
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