毎朝昼のご祈祷で着る法衣の裾が、ほころびた。繕いが必要。
お釈迦様のお弟子に、アヌルッダ(阿那律)というお弟子がおられました。彼は、修行中、居眠りが多くてよく叱られました。それを恥じ、一念発起して修行に打ち込みました。今度は、無理をして失明してしまいました。それでも頑張りました。教団では、自分の法衣は自分で繕わなければなりません。しかし、彼は眼が見えません。針の穴に糸を通すことが出来ません。そこで、「功徳を積みたいと思っている人は、わたしの針に糸を通して下さい」と呼びかけました。その時、誰か「私にも功徳を積ませておくれ。私が糸を通してあげよう」と申し出ました。その声は、お釈迦様でした。アヌルッダは驚き、「世尊のような方が、まだ功徳をお積みになりたいのですか?」と尋ねました。「この世に、私ほど功徳を積みたいと願っている者はいないだろう」と答えられたそうです。功徳を積むということは、仏教において大事なことなんですね。精進したいものです。
女房殿に、「法衣の繕いをして、徳を積んでみない」と言ってみた。「自分のことは自分でするのが、お坊さんの修行でしょう」ときっぱり。ごもっともです。結局、自分で繕った。こころは、今日も大吉!
※ ひどい女房殿と思われるかも知れませんが、綻びた法衣をさりげなく置いておくと翌朝はちゃんと繕って畳んであるんですよ。本当は、「陰徳」を積みたいのかもしれませんね。
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