39年前、 兄が他界した日は、とても暑い日だった。兄は33歳だった。その日は、「土用の丑の日」で、お寺で「ほうろく灸、虫封じ」の行事が執り行われた。行事が済んで、私は名切のグランドで仏教会のソフトボール練習に駆り出されていた。練習していると、お寺の人が「お上人さーん、お上人さーん!」と駆け寄ってくる。「お兄さんが、お兄さんが、亡くなったそうです。今、お寺に連絡がありました」「・・・・」。事故、詳しいことは分からない。車に乗せてもらいお寺に帰り、準備して長崎市の実家まで車を飛ばした。出かけに先輩夫婦が、お寺の玄関で心配そうに見送ってくれたのを覚えている。なんだか、心強かった。
実家に着くと、兄の遺体は棺に入れてあった。信じられなかった。兄の遺体を無我夢中で揺さぶり「にいちゃーん!にいちゃーん!」と叫んだ。目を覚ますはずもない。悲しみが爆発したように全身に込み上げてきた。号泣した。
遺体は、棺にきれいに収まっていなかった。硬直していたからかもしれない。「そういう時は、お題目を唱えて遺体をさすってやるといいよ。柔らかくなり、きれいに収まる」と聴いたことがある。「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、、、」と泣き唱えながら兄の遺体をさすってやった。不思議に柔らかくなり棺に収まった。お題目、ありがたし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。その日のことは、映画を見ているよに鮮明に目に浮かぶ。脳に深く刻まれているようだ。
「ひとの寿命は無常なり」、兄はまだ満33歳だった。お盆、彼岸、命日、折々に卒塔婆を立てて供養した。毎朝、仏壇の位牌の前で亡き両親とともに回向している。しかし、親は順番と思えるが、兄のことを思い出すと未だに悲しくなってくる。兄弟の死は、辛いなあ。「月日が経てば、次第と薄れるさ」、そんなもんでもない。しかし、兄の死の悲しみは、他人への思いやりに通じていくと思う。
明後日は、土用の丑の日。今年も「虫封じ」の行事が執り行われる。また一年が経つ。兄の死の悲しみが他人への優しさに変じ、歳をとるごとに年輪の如く、その優しさが増して太くなればと思う。こころは、今日も大吉!
人間は2度死ぬといいます。1度は心臓が止まったとき。2度目はその人のことを完全に忘れ去ってしまったとき。
返信削除お兄さんはお上人さまの心の中で今でも生きておられます。きっと喜んでおられるでしょう。
有難うございます。遺影が笑っているんですよねえ、、、、なんとも。
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